頼もしい青年ホッド君

そんな風にすっかり満足してニコニコ顔の私たちに「おいしかった?」と、突然日本語で話しかけてきた青年がいた。この店のスタッフで名前はホッド。いろいろ話すうちに、彼はレストランのコックとウェイター、ゲストハウスのフロント係、ツアーガイド、と何でもこなす貴重な人物であることが分かってきた。英語はもちろんのこと日本語もかなり流暢で、これからのスケジュールが決まっていない私たちには救世主のような存在だった。

 

壁に貼られたトレッキングの写真を眺めていた夫が、渡りに船とばかりに彼に質問を始めた。いかだで川下りしたり、象に乗ったり、山岳民族の人々と交流したりと、興味を引く写真がたくさん貼られていたので、冒険心を刺激されたに違いない。

 

私の方は日本出発の前、ガイドブックで調べていたのでチェンマイではトレッキングが盛んであることを知ってはいたものの、参加することには多少の躊躇があった。まず第一に体力的に自信がないことである。仕事以外ではほとんど外出さえしない私は慢性的に運動不足の状態なのだ。かと言って楽なコースをとれば観光化された村を訪れることになりそうで、本当の山の生活を知ることにはならないだろうとも思っていた。またそれ以上に観光客として気楽に訪れる気持にはなれないほかの理由もあったのである。

 

それはタイのジャーナリストであるサニッスダー・エーカチャイの著書を読んで、北部山岳民族の農民の窮状を知ったからだった。1993年末の時点で日本企業の進出は1000社にものぼるそうだ。それから1年半も経っているのだからその数は相当なものだろう。ユーカリ植林を推進するパルプ産業の主力はタイと日本との合弁企業であり、日本の食卓向けのエビを供給するためにマングローブは消滅し、日本人ビジネスマンが利用するゴルフ場をつくるために広大な農地が取り上げられたという。エーカチャイのインタビューに答えた北部山岳地帯に点在する数多くの部族の人々が『自分たちはだまされた』と語っている現実は、日本人として重たく受け止めざるを得ない。

 

そんな訳で、出発前の私は彼らの生活を見てみたいという素朴な関心と、その一方で安易な観光で彼らの村を訪れるわけには行かないという気持が半々だった。かと言ってタイ語が話せる訳でもなく、ましてや山岳民族の言葉が分かるわけでもない私たちが直接訪問できるはずもなく、ガイドを雇って行くとしても、一体どこに申込めば良いものやら皆目見当がつかなかった。ガイドブックにも事故のことや問題のある旅行代理店のことがいろいろ書かれていたし、日本語できちんと説明してもらわないと肝心なことがよく分からないという不安もあった。

 

しかしホッドは親切に何でもよく説明してくれた。彼の話によればかなりハードな行程であることが予想されたが、一般の観光客が訪れない独自のコースであることや、自力でいかだを操って川を下り、ゾウに乗って山中を歩くなど、生まれて初めての体験ができるという誘惑には勝てそうもない。

 

今までどの位の数の日本人が参加したかと聞くと、なんと3か月に1組くらいしかいないそうである。毎日のようにあちこちのコースに挑む欧米人と比べて、あまりにも少ないではないか。「日本人はトレッキングには行かないよ。だからなかなか日本語を覚えられないんだ」と彼は苦笑した。日本人と言ったらゴルフと相場は決まっているのかもしれない。山歩きをしない日本人は軟弱者だと指摘されているような気がして、聞き捨てにできない話だった。私はその仲間入りはしたくない。

 

夫は写真を見た時から行きたいと思っているようだったが、私の脚力が心配だったに違いない。結論は私が出すしかない。40代も半ばとなった私にとっては体力的にいくばくかの不安もあったのだが、結論は『やるっきゃない!』だった。最後の結論は大きくジャンプしてしまうというのが私のいつものやり方だ。

 

2泊3日の総費用は1人当たり1400バーツ(約5000円)で、当然の事ながら1日3回の食事と宿泊費用が含まれている。所持金は小遣い程度で、旅行かばんその他の不要な荷物はホテルに預けてくるようにとのこと。ザックは無料で貸してくれるそうだ。そして一番気になる靴についてはスニーカーではダメだと言う。出発時に立ち寄るマーケットで30バーツ(約100円)で売っている靴を買うようにアドバイスされた。おそらくドロだらけになるのだろう。私のお気に入りの白いリーボックが無残な姿になったら悔しいので彼の助言に素直に従うことにした。

 

 

3 いよいよ出発