ラフー族の村

今日の宿泊先はラフー族の村である。カレン族の集落の中では見かけなかった畑が、こちらでは家の周囲に広がっている。それに何と言っても一番驚かされたのはここに水道があることだ。おそらく川の水を直接汲み上げたものだろうがこれは画期的なことだろう。

床下には薪や道具類が置かれていて、豚君たちは庭に作られた囲いの中に住んでいる様子である。ただし子豚は囲いの隙間から出入り自由の状態だ。

 

今夜は普通の民家を使わせてもらうようである。建物自体はカレンの村と大して違っていないものの全体的に大き目で、生活も豊かそうに見える。しかしこちらも部屋の中に家具らしきものは見当たらない。衣類は竹製の壁の上部にできた隙間に掛けてあって、これがタンス代わりになっているようである。もちろん家はワンルームだ。部屋の片隅に白い蚊帳が張られてあるところを見ると、これが寝室コーナーなのだろう。

 

訪問者の様子を伺いにやって来た女の子は民族衣装を身に着けてピンクの口紅なんぞ塗っている。耳には小さなピアスを付けていて、顔立ちはほとんど日本人と見分けがつかないほどである。

 

ビットの説明によればここの人たちはモンゴリヤンの血が混じっているのだそうだ。なるほど日本人と顔かたちがそっくりなわけだ。その大勢の子供たちが私の目の前にずらりと並び私の一挙一動をじっと見守っている。ザックの中身を整理していると、物珍しそうにいっせいにのぞき込む。このように凝視されるのも楽ではない。「うーん、私たちってまるで動物園のお猿さんだよね」などと話しながらも、私は私で彼らを観察させてもらうことにした。

ラフー族の少女たち
       ラフー族の少女たち

ここの子供たちはとても人なつっこい。

「ラサー」がこんにちわであること、「オブイダー」がありがとうの意味であることを教えてくれた。丁度雨が降ってきたので身ぶりで聞くと「ムイラ」と言うのだそうだ。外で犬の吠える声がするので「あれは?」と聞くと、みんなが口々に「ナントカカントカ」と言っているがよく聞き取れない。どうも何のことを聞いているか分からなかったようだ。

 

そこで私は四つんばいになって「ワンワン」とやってみた。それでもまだみんなのことばがひとつにならない。どうも口々に犬の名前を答えていたらしい。みんなで大笑いとなる。しかし犬の総称が何であるかを確認しそびれてしまった。

ラフー族の村のこどもたち
    ラフー族の村のこどもたち

記憶力のなさに自信がある私は、ボールペンと手帳を取り出してこれらの言葉をメモした。一つ教えられるたびに私が何かを書くので、子供たちは思い思いに何か言いながら手帳をのぞき込む。ついでに日本語を教えてあげるとそっくりに口まねする。発音が何の違和感もないほど日本人とそっくりだ。顔かたちが似ているということは発声も真似しやすいのかもしれない。

 

それにしても旺盛な好奇心である。現代の日本ではなかなかお目にかかれない光景だ。村には学校がないので育ち盛りの子供たちは知識欲を満たすチャンスを逃したくないのだろう。何だか教育の原点を見るような新鮮な気持にさせられた。

 

家の外へ出てみると小さな子供たちがSケンのような遊びの真っ最中だった。片足とびで鬼が中にいる子を捕まえる。捕まった子もまわりの子もみんな一斉にキャーキャー騒ぎながら笑い声が絶えない。私が小さい頃の遊びとそっくりだ。テレビもラジオさえもない生活。決して豊かな生活とは言えないけれど、目まぐるしく生活に追われている私たちから見ればうらやましいような一面を覗かせている。

ラフー族の村人たち
    ラフー族の村人たち

この村の人たちは全部で120人、11家族だそうである。 子供の数およそ60人。昨日のカレン族の村は185人と言っていたからこちらの方が村としては小さいけれど、生活ぶりはこちらの方が豊かそうに見えるのはなぜだろう。

 

どちらも米作中心の生活ではあるが、現金収入の違いだろうか。ラフーの人たちはカラフルな糸を使ってヘアーバンドやリストバンド、それにネックレスのような装飾品を作っている。おそらくチェンマイのナイト・マーケットなどへ出かけて売っているのだろう。

ラフー族の台所はこんな具合
    ラフー族の台所はこんな具合

本日の夕食はインゲンのチリ和えとたけのこ入野菜炒め、それにじゃがいものタイ式カレーだ。戦利品のたけのこは好評だったけれど一人だけ嘆いていた人物がいた。たけのこ運搬役のトーレンだ。

 

彼の話によると、歩く度にたけのこの袋がズシンズシンと当たるのでおしりが痛くなってしまったそうである。本当に気の毒なことである。でも掘りたてのたけのこはやっぱり美味しかった。

 

 

13 商談