昼間は小さな寺院や現地の人たちの生活ぶりをウォッチングしながら、メコン川沿いの市街地のはずれまで散策してみた。ラオスの旅を計画していた当初、宿泊先の第一候補に挙げていたボーリヴァージュというホテルを見てみたいという気持ちもあったからだ。
しかし、今日は珍しく日差しが強い!木陰や建物の影に入れば涼しいのだが、あいにくこちらにはあまり高い建物がないから、日中の太陽は容赦なく照りつける。
あちこち歩き回ってお腹も空いてきたし、暑くてたまらないので、サイヨーカフェでランチと午後のひとときを過ごすことに。
この店は西側に建物が建っているお陰で、昼を過ぎた頃にはテラス席にも少しだけ日陰ができていた。気温はあまり高くないらしく日陰に居さえすれば涼しい風が吹き吹けていき大変心地よいのだ。
しばし二人とも午後の読書にふけっていたが、そのうち眠くなってきたので、ホテルに戻って一休みすることに。ついでに少しだけお昼寝した。
このところ少し歩き疲れているかな、と二人の意見が一致したので、夕方から、桑野さんお勧めのオアシスというマッサージ店に行ってみることにした。
結果は? この店のマッサージは大変質が高い、というのが二人の一致した感想だ。今まで受けた中では間違いなく一番だ。ツボの押さえ方といい、筋の伸ばし方といい、無理せず、しかし効果的に施術してくれるので、まるでクラニオ整体に行ったのかと思うほど。特に筋の伸ばし方にはいくつかの共通点があった。帰国したら早速報告しなくっちゃ。
さて、身も心もすっきりしたところで、夕食はまたカオピヤックを食べに行こうと川沿いの道を歩いていると、ローカル食堂の前で手を振っている男性が・・・ここの席が空いているよ、とのお誘いだ。せっかくなので同席させてもらうことにした。
彼はギリシャのクレタ島出身の67才の男性。(クレタ島は全長300キロ、100万人の人が住む島とのこと)
すでにリタイアしているが、少し前まで、ギリシャでオイルタンカーの船長をしていたそうだ。
各国別の原油生産高の説明や、ロシアがダントツの一位であること、ガスなども含めてエネルギー生産高が群を抜いていることなど、地図を描いて原油のパイプラインがどこにあるかに至るまで、詳細に説明してくれた。
以下、彼から聞いた話を記憶をたどって記しておくと、息子が33才、娘が28才で最近結婚したらしい。4年前に奥さんがガンで亡くなった。毎年4か月間、インドシナ半島の旅に出る。旅先ではいつも徒歩であちこち観光して回っている。
ランサーン通りのホテルに泊まっていて、タートルアンも歩いて行った。
今日は中州(ドンチャン島)のメロン畑などを見に行ってきた。
そこで働く農民はみな貧しい様子だったが良い人たちだった。
もう少しそこにいたかったが、凶暴?そうな犬にワンワン吼えられて怖かったので一目散に退散してきた。
メコン川沿い(ファーグム通り)にあるこのローカル食堂にもビエンチャンに到着した4日前から毎日通ってきている。最初はドイツ人、次にフランス人の二人連れの女性、昨日はスウェーデン人、そして今日は私たち日本人だ。
今まで彼が経験した3大事件というのは
・1969年ビアフラの大虐殺があった頃、自分はビアフラぺトロールの仕事をしていて、危うく命を失いかけた。当時200万人が死亡した。
・ホメイニとフセインの(イラン・イラク)戦争でタンカーが機雷を受け、6人の同僚が死んだが、自分は幸いなことに親指(左指)を飛ばされた だけで済んだ。
・プーケットの津波があった時、自分はカマラビーチに滞在していた。30メートルくらいの高さの波が、時速70キロのバイクと同じくらいのスピードで押し寄せてきて、1階に泊まっていた人たちはみな流されてしまった。自分は幸い2階に泊まっていたので助かった。
幸運にも生き延びてきて、今は健康に感謝しながらハッピーに生きている。(前立腺炎で手術したらしいが幸いガンではなかったとのこと) こんなことまで次々に話してくれた。
私たちは英語でのおしゃべりは得意ではないので、簡単な単語を並べて反応することくらいしかできないが、それでもこれだけ重い話にも関わらず、時にユーモアを交えながら話してくれて、有益なひとときを過ごすことができた。
私たちは明日、ノンカーイから寝台車でバンコクへ行くと伝えると、彼は明後日ここを発つと言っていた。(ノンカーイ経由でパタヤだったか?)
予定していたナンプコーヒーのカオピヤックは食べられなかったが、それよりもビエンチャン最後の充実したディナータイムが過ごせて満足だ。
※ホテルに戻るとまたまた隣でパーティの真っ只中だった。
今夜は前回よりは多少早く、10時45分にはお開きになった。
やれやれ。
(16,000歩)